現存の資料では、約2500年前(BC500年頃)インドで生産された胡椒が古代ギリシアで医薬品や食用として使用されていたことがわかってい
ます。
約1500年前 古代ローマ時代でも胡椒は、貴重な品目として高値で取引がなされ、その保有量が権力と財力の証とされていました。
胡椒は、その高い価値から法廷通貨や有益賦課(年貢)としても通用していました。ドイツでは、役人の給料を胡椒で払ったとされていますし
罰金や税の代わりとしても扱われました。 イギリスでは、地主たちが小作料を胡椒で支払うようにしたとされその名残りは今でも「名義だけ
の地代」をあらわす”ペッパーコーンレント(胡椒の実地代)”という言葉に残っています。
大航海時代
ヨーロッパの土地では、地質により胡椒を育てる事が出来ませんでしたので、インドから運ばれたものに頼らざるを得ず、中世ヨーロッパでも
大変な高値で取引がなされていました。この時代の胡椒の価値を表すのに「一握りの胡椒は、同じ重さの黄金もしくは、牛一頭と引き換えにさ
れた」とされています。ヴェネチアやコンスタンチノーブル(現在のイスタンブール)は胡椒の交易で大いに栄えました。
1453年に胡椒の交易ルートを抑えていた東ローマ帝国が滅亡すると各国は、新たな交易ルートの確保に躍起になりなした。後に「大航海時代」
と呼ばれるほど多くの冒険がこの時代に行われた背景には、胡椒をはじめとした香辛料の獲得という目的がありました。
喜望峰回りのインド航路を開発したバスコ・ダ・ガマの持ち帰った数々の香辛料香辛料は仕入値の60倍以上の値段で売ることが出来ました。
マゼランがモルッカ諸島で積み込んだ香辛料はマゼラン艦隊の派遣費用をはるかに上回る利益がありました。
その後もヨーロッパ諸国によるインドをはじめとする 東洋への侵略の歴史と入り乱れて領有地争奪戦争(スパイス戦争とよばれている)が第二
次世界大戦直後まで繰り返されました。
一方、東洋でも中国・日本などは南方貿易に乗り出し 胡椒貿易は盛んになりましたが、日本では江戸時代にキリスト教が広まることを恐れて、
鎖国令を敷いたこともあり その間巧みに商業活動を展開した華僑の支配権は強まりました。